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空知ドラゴンのイロイロ日記

日々の気象(地元)の日記です。他に旅行、グルメ関係の日記を時々掲載します。

朝晩ひんやり。 

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26日は、晴天。澄んだ綺麗な青空で、爽やかな気候でした。
今朝は、久しぶりひんやり。アメダス参照最低気温が13.3度。天然クーラー状態涼し過ぎで、快眠。

最低気温が、15度末満だったのは、1日以来、25日ぶり。

また最高気温は、26度。これが今頃平年並の最高気温。日中は、暑いもののカラッと爽やか。

北海道内陸の真夏らしい気候に戻り、ホッと出来る最近。

上記写真は、26日昼前撮影、暑寒別岳。

概況 滝川市自宅庭

7/25 最高26.2度 最低14.8度 晴れ。午後一時にわか雨。



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Posted on 2017/07/26 Wed. 16:08 [edit]

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夏空。夕方にわか雨。朝晩ひんやり。 

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昨日は、夏空でしたが、猛暑に至らず。

本日25日も、晴天でしたが、最高気温は、昨日とほぼ同じ26度台。
これがこの時期の大体平年並の最高気温。勿論この気温も暑いですが、
真夏日になるより、充分マシな気温。

7月だけで、これまで、9日真夏日があったためか、
最高気温26度位だと、だいぶ楽に感じる。

家内部、日差しが少ない北側部屋は、窓開けて、風にあたれば、快適。

外は、歩くと流石に汗が滲む暑さだけど、真夏日から比べ楽。

朝晩も、ひんやりで、今朝は、自体庭寒暖計で14度台。
寒いため、深夜起きて、窓を閉じてまた就寝。

また25日は、午後から積乱雲が湧き、夕方一時にわか雨が。
ほんの1分位ザーッと降り、すぐ回復。

25日も、夕方以降は、ひんやり涼しい気候。

当地付近、真夏日は、この先週間予報参照では、無さそうですが、
連日、予想最高気温は、25度以上。ほぼ平年並なものの、充分暑いに変わりないです。

健康管理には、注意が必要です。

上記写真は、25日夕方、撮影。

概況 滝川市自宅庭

7/23 最高30.5度 最低18.2度


Posted on 2017/07/25 Tue. 22:52 [edit]

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25

夏空。結局また真夏日。 


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23日は、朝から晴天。夏空でした。久しぶり空が澄んだ状態。

暑いけれど、比較的カラッとした気候が、せめて、、もの、、救い。

最高気温は、30度をかろうじて、超え真夏日。今夏9日目の真夏日。

真夏日が5日以上あった夏は、3年ぶりぶり。
しかも、今夏の場合7月だけで、9日も真夏日に。酷いです。

昨年の夏は、8月になって、初の真夏日。8月だけ高温で、真夏日は、4日ありました。

当地の年間真夏日は、平年5日位ですから、昨年夏は、並夏らしい状態。

今夏は、7月になって、上旬に、初真夏日。7月だけで9日も真夏日。

いかに、今年7月が猛暑なのかわかります。

ってことは、この反動で、来月8月は、真夏日無し。となれば良いのですが。

大雨もたらした梅雨前線らしき、前線が北海道の南まで南下したのに、
相変わらずのクソ暑さ。うんざりです。

子供は、夏休に入り、23日は、初日から海水浴場も大賑わいだったでしょう。


概況 滝川市自宅庭

7/22 最高26.2度 最低18.2度





Posted on 2017/07/23 Sun. 20:52 [edit]

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23

また蒸し暑く。末明一時大雨。 

昨日は、曇天。しかし日の差す時間も。
日の差す時間は、ジリジリ暑く、ムアッとしたアスファルトからの照り返し。
最高気温は、30度を超え、今夏8日目の真夏日。

また夜から、雨が降り出し、日付変わり午前1時過ぎから、一時荒れた天候に。
猛烈な大雨、風も強く、寝ていても、大丈夫か?と思う様な天候。

しかし、30分も続く事無く、静穏に。

当地では、アメダス参照で、午前2時に1時間雨量20ミリを記録。
末明の全体降水量は、40ミリ程度でした。

前線が足早に南下し、過ぎ去ったため、被害が出る様な大雨にならず。

道南では、土砂崩れ、浸水の被害も、あったらしいです。

前線が南下し、22日は、朝から雲がありながら、晴れ間も。
前線の北側に入った筈の当地ですが、前線の南側と大して変わらず。

それでも、22日は、最高気温2 7度台で、昨日より3度位低く。
暑いのに、変わりないけれど、真夏日になるより、マシ。

気象庁最新予報参照では、この先一週間ダラダラクソ暑い状態が続きそう。
真夏日になる様な猛烈な暑さは、無さそうですが、最高気温が連日25度以上。

北海道内陸レベルの充分暑い気温がダラダラ続きそうで、暑さ対策は、しっかりやらないと。
7月上旬からの猛暑、もう夏バテ気味。北海道の住居環境が原因かも。
休日の昼間は、本当に家に居るのが辛い。風が弱い日は、扇風機で凌ぐしかない。
ファミレスなんか涼しいけれど、いつも涼むため行くわけにいかないし。
ネカフェも無い田舎町、あとは、公共施設くらしかクーラー完備の涼む場所は、無い。
しかし、何処も窓開けて、風通ししているだけ。そこまで節電する意味あるのやら?

まだクーラー完備された都内、横浜の方が楽に凌げるかも?あくまでクーラーあればの話。

家のクーラー修理問い合わせたら、お盆まで、かかるらしく。意味が無い。

昼間暑くても、朝晩涼しいのが救いの北海道内陸。。

予想最低気温は、来週大体15度〜16度。最低気温は、ほぼ平年並。
涼しい朝晩、ゆっくり休息し、身体をいたわり夏を乗り越えたいものです。

概況 滝川市自宅庭

7/20 最高2 4.6度 最低17.5度 晴れ。

7/2 1 最高30.8度 最低20.5度 曇り。日の差す時間も。



Posted on 2017/07/22 Sat. 23:40 [edit]

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支那事変から80年 日本の侵略戦争は、大嘘!! 

盧溝橋事件を元に、日本軍と支那抗日との戦乱「支那事変・北支事変」勃発から80年。

この戦乱を日中戦争と呼称している人もいますが、実際は、支那事変、北支事変です。

この戦乱から、既に大東亜戦争が開戦していた。と言う保守系論者もいますが、正にその通りでした。
大東亜戦争終戦以降、戦後自虐史観洗脳が本格化し、この戦乱を日中戦争と呼称し、
日本軍が、自らの野望のため、利権のため、チュウゴクを侵略し、チュウゴク側と、
泥沼の戦争になったと子供の頃、学校で左巻教師が言っていました。

日本が帝国主義で、チュウゴクに進出し、権益、私利私欲のため土地欲しさに、侵略戦争をした。と。

しかし、そんなのは、全部後付けの出鱈目でした。

本当の真実は、侵略戦争でもないし、日本は、支那大陸に軍を配備したのも、支那の侵略目的でもないです。

まず、日本軍が支那大陸に軍を配備したのは、支那在留邦人の保護が目的でした。
1920年代、30年代当時の支那は、国際都市上海にしても、治安が悪く、
国民国家でなく、無法地帯に等しい場所でした。孫文氏が中華人民国を設立したものの、権限も脆弱で、
共産党軍の恐怖支配が拡大し、警察も国際的な対応なんざしていませんでした。
前にも書いたが、支那の共産党軍、国民党軍にしても、兵士は、大部分が馬賊、愚連隊の輩の集まりで、
村を襲い、殺戮をやり、盗みもやるごろつきが暗躍していました。

だから、上海では、在留外国人は、それぞれの安全租界を作り、その租界内だけで経済活動し、
生活をしている状態でした。フランス、イギリス、ドイツ、そして日本が租界を設けていました。
在留自国民の警備のため、どの国も自国軍をそれぞれの租界に配備していました。

租界内から出て来るなよ!傀儡どもめ!と外国人を弾圧したのは、地元の支那人でした。
しかし、支那人は、その外国人租界内が急速に経済発展していくと、自分達も入れろと、侵入し出したのです。
特にお人好し、優し過ぎる日本の租界には、大勢の支那人が流れて来ました。良い人もいましたが、
民族性から、道徳観の違いから、日本租界内で犯罪も多発し、テロも行われました。
日本軍部隊は、時として、野蛮な支那人テロリストを撃退し、邦人だけでなく、地元支那人からも感謝されました。
当時の支那は、膨大な量の野蛮軍閥、賊が群雄割拠し、それぞれの地域で権力を誇示し、暴れ、
地元人民を恐怖支配していました。国民国家と言えず、日本軍駐留による治安維持で多くの人民が救われました。

しかし支那人の外国人憎悪は、特に日本人に向けられました。華夷秩序のプライドからも、
日本ごときに、自分達の土地で正義ぶりやがって、しかも親日になる同胞人民増加が悔しいいいいいい!!
と、つまらないプライドから反日憎悪をむき出していきました。

これをきっかけに、反日の野蛮な輩による抗日テロが、頻発していきました。


昭和2年には、南京にある日本大使館でテロ事件がありました。これが本当の南京事件です。

また済南では、支那人のテロにより、在留邦人の商店まで襲撃され、多数の死傷者を出しています。

そして、今から80年前の7月29日、北京近郊の通州で、在留邦人(鮮人含め)264名が、
保安隊とは、名ばかりの支那人テロリストにより、殺害される恐ろしい事件が起きました。
支那側は、この事件の原因が日本軍の誤爆と主張するも、デマです。
日本軍の誤爆は、事実ですが、通州事件の起きる前に、誤爆の事後処理は、賠償など支那側と済んでいました。

しかも、誤爆でアタマに来る気持ちも解りますが、無関係な女性、子供など民間人を大量惨殺していいわけがない。

遺体は、目玉がえぐられ、内臓も辺りに散乱。支那漢人の残忍な行為に日本内地では、国民が怒りまくりでした。


上海の共同租界にある、キャセイホテル、パレスホテルの交差点には、支那の軍による空爆があり、
外国人を含む大勢の人々が犠牲に。爆弾の炸裂で自動車も吹き飛び、遺体が散乱。
日本人以外の外国人からも支那の非道さに怒りの声があがっていました。

支那事変で、日本が支那の内戦に巻き込まれて、国民党軍との戦争に突入して行きましたが、
このきっかけは、次々起こる支那での残忍な日本人へのテロ、殺戮行為への怒りもあったのです。

そして、この秩序の無い、カオスな支那をしっかりとした国民国家、憲法のまかり通る法治国家にしないと、
東亜の秩序を保てる事が出来ず、恐ろしいソビエトのアカ思想、共産主義を防ぐためにも、
支那を一刻も早く、まともな国民国家に育て、更にアジアの国際的な国家にしないと列強国に支配され、
共産主義にまで支配されれば、日本は、非常に危険な事態になるわけです。

アジアで先に富国強兵を遂げ、文明開化をした日本には、東亜安定の責任がありました。
そのために、大国支那を国民国家にしないといけなかったのです。

しかし、支那漢人は、古臭い封建的な眠りについたままで、白人至上主義、列強国の支配の脅威を無視し、
華夷秩序、中華思想のプライドから、富国強兵し、ヨーロッパの良い面を学んだ日本を敵対し、妬み、
反日を徹底していました。
支那の共産党軍は、対日戦争に反対をしていた国民党軍にも抗日を呼びかけました。
国民党軍統帥蒋介石は、親日で日本との戦争を避けていましたが、
そんな蒋介石を共産党軍側が拉致し、命が惜しければ、抗日を徹底すると誓え!!と脅し、
蒋介石は、それを受諾し、解放されました。


共産党軍は、国民党軍を巧く利用し、日本軍部隊と戦わせ、日本軍を泥沼の戦乱に巻き込みました。
そんな中、日本軍は、次々戦勝をおさめ、1937年(昭和12年)12月、南京を制圧。国民党軍を敗りました。
南京には、平和が戻り、避難していた人民が南京に戻って来ました。

これが不愉快なのが、国民党軍の残党でした。そして共産党でした。
日本軍の活躍を不愉快な支那抗日は、戦力で敵わない日本軍に、違う抗日テロを展開。
被害者になって、憎き日本に酷い事をされた!という被害者プロパガンダを諸外国にばら撒く工作です。
これは、支那人、朝鮮人の得意技です。

国民党は、機関紙に広告を出し日寇侵略プロパガンダの被害写真を党員読者に募集。
実際、日本軍が関係していなくても、残忍な遺体が横たわる写真、建物が破壊されている写真、
血塗られた生々しい事件現場にある殺戮の跡など、残忍な光景の写真を募集。
当選者には、賞金が出る、また不採用の場合、写真は、返却する。という広告記事でした。

支那で残忍な光景の写真なんざ、結構ネタとして、売られていました。
野蛮な賊が村を襲撃したり、対立する軍属同士のいざこざ、復讐事件、そんなのが相次ぎ、
残忍な光景の写真なんか、各地でばら撒かれていました。
そんなのを賞金目的で、機関紙に応募送付する人民が多々いました。

これを国民党は、巧く使い、アメリカに、日本軍が支那各地で、
こうした酷い殺戮、破壊、侵略をしていると被害者プロパガンダしていきました。

日露戦争以降、アメリカは、日本を脅威に感じ、
更に有色人種の分際で、白人至上主義に刃向かう生意気な連中と、憎悪。
対日戦争計画が立てられ、大正11年7月1日には、
アメリカ合衆国内の日本人移民を排斥する排日法案が可決しています。

そんなアメリカに更に油を注いで、日本との関係を悪化させたのが、支那抗日の輩でした。

支那事変から2年後、1939年、アメリカは、突如日米通商条約を破棄。
この年には、日本人が悪魔として、描かれ大衆雑誌も、支那侵略をやる悪魔、
首狩り野蛮ジャップなど、アメリカ国民にも、日本人ヘイトが当たり前に。

アメリカは、支那中共のために、軍事援助までやり出し、日本軍を困らせました。
こうして、あの悲惨な大東亜戦争に、日本は、進むことを余儀なくさせられます。

今から80年前、日本は、支那共産党、国民党軍の罠にかかり、
泥沼の戦乱に翻弄していきました。
しかし、これは、侵略目的でなく、日本国家の自存自衛のためでした。
当時世界を包んでいた恐ろしい共産主義を防ぐ事、東亜の秩序保持、
これをしっかりやらないと、日本国家の安全保障は、無に等しかったのです。

80年前、当時の日本皇軍は、祖国の安全保障のため、
祖国の自存自衛のため、泥沼化した戦争に翻弄され、
また、遠い異国の支那大陸で、支那抗日ゲリラによる非道なテロが、
頻発していた背景も、忘れてはいけない。

通州事件からは、あと4日でちょうど80年。私が今40歳だから、
私が生まれる40年前にあった事件。

当時の新聞報道からも、日本国民の怒り爆発世論がわかります。

その前から日本国民は、非道な支那抗日テロリストに憤っていました。
尼港事件、南京大使館襲撃事件、済南事件、通州事件、
満州にも、支那漢人抗日テロリストが暗躍し、日本軍は、ついに通州事件以降、
怒りが爆発。これ以上無法な支那を看過出来ない!と武力行使に出たのです。

侵略目的は、デタラメ、捏造です。







Posted on 2017/07/22 Sat. 16:50 [edit]

category: 日々感じた事(社会世相)

thread: 大東亜戦争の本当のこと  -  janre: 政治・経済

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